台上前転8段

シャインマスカットが好きなおたく

消えた初恋という救い。しなやかな強さと優しさに寄せて

※このブログは2021年10月10日にnoteにて公開した文章を転載したものです。


※このnoteには漫画、そしてドラマ「消えた初恋」のあらすじや、予告で取り扱われている程度の内容を含みますが、ネタバレにならないよう配慮しています。


こんな事をしている場合ではないけれど、優しくて暖かくて泣きそうなものを受け取った、この感謝にも似た感情をどこかに書いておきたかった。久々にnoteにログインしたものの、言葉がうまくまとまらない。

「消えた初恋」という作品に出会った。

応援していたアイドルが、素敵な漫画に出会わせてくれた。


私は箱推しのSnowManファンだけど、目黒くんの担当ではない。BLはそこまで読むわけじゃない。当事者意識が持てなくて、恋愛ものでは胸キュンできない。ドラマは年に一本も追えない。

そんな私がどうしてこの作品にこんなにもハマったのか。時系列順に一つずつ書いていく。

自分にとって大事な何かを、否定されたことのある人。そのせいで、それをまっすぐ愛する事が怖くなってしまった人。
そんな誰かに、この作品が届いたらいいなと思って。

1、作品との出会い

SnowManの目黒くんがドラマに出る、ということからこの作品を知った。なにわ男子の道枝くんと出る恋愛ドラマと聞いて、2人が1人の女の子を取り合う話だと思っていた。後から知って驚いた。目黒くんは道枝くんの相手役だった。

ちなみに自分は、BLは勧められれば読む程度。何個か好きな作品もある。「君には届かない」という漫画は友人に勧められてハマった。昨年春には知り合いの勧めで知った、タイのBLドラマ「2gether」にハマっていた。

ただ、自分の推しがそういった作品に出るとは思っていなかったので驚いた。

ジャニーズがBL、と聞くと私にとって記憶に新しいのは宮田くんと玉森くんの「BELOVE」や、大倉くんが出ていた「窮鼠はチーズの夢を見る」など。
デビュー直前の道枝くんを、なかなかトリッキーなドラマに出すんだな……と思っていた。

だけど、調べれば原作は、所謂BL漫画とは少し違っていた。掲載誌が少女漫画誌別冊マーガレット」で、目黒くんが演じるキャラの井田くんも、道枝くんが演じる青木くんもどちらもどうやら自認は異性愛者。青木が片想い中の女の子のためについた嘘のせいで、井田が、青木は自分の事を好きなのだと誤解することから始まるラブコメだった。

どうやら可愛らしい話みたいだけれど、自分は勉強が忙しくてそれどころでは無いので、あまり追う気はなかった。

2、意識の変わり目、そして原作との出会い

受験生、そんなにずっと頑張れない。
そんなとき、消えた初恋のPR動画はちょうどよかった。なにしろ、短くて顔がいい。
3分程度の予告に顔がいい人たちがぎゅっぎゅと詰まっている。毎秒誰が映っても顔がいい。余談だが私は福本莉子ちゃんの顔がめちゃくちゃ好き。橋下さんのグッズが欲しい。
そういうわけで私にとって完全な癒しアイテムとなっていた。

そんな時、ドラマ放送直前に上がった動画、「青木づくし」と「井田づくし」。1人ずつにフォーカスした名場面集のようなもの。

これが私の認識をガラリと変えた。

恋している顔の2人が、そこにいた。
可愛いだとか、愛おしいだとか、切ないだとか、そういう顔をしているシーンがあった。

これは恋の話なんだな、とその時初めて思った。

失礼ながら、私にはそれまで「BLラブコメ」として茶化すような気持ちがあったと思う。茶化す、は違うかもしれないけれど、ともかくそんなに繊細に、視線や手つきに変わりゆく気持ちを乗せるような、そういう見せ方をする作品だとは思っていなかった。
壁ドン、床ドン、予告にはなかったけど顎クイとか、そういう見せ場が沢山ある賑やかな話だと思っていた。

違った。画面の中の彼らは繊細かつ真剣に恋をしていた。

その瞬間、私の作品への興味はグッと強くなって、時間を捻出してこの作品を観ることを決めた。

原作を読んでおきたいなと思って、しばらく放置していた、待てば無料で読めるタイプの漫画アプリを起動した。消えた初恋は、ドラマ記念で一巻が無料で読めたので、時間があるときに読もうと決めた。

そしてそのタイミングは意外と早くやってきた。


3、作品がくれた救い

10月9日。消えた初恋の放送日。
私にとっては何もできない日、つまりワクチン接種の翌日。
ちょうどいいのでドラマまでに、原作漫画を読むことにした。

そこには、ただひたすらに優しい世界があった。
青木は、「イダくん❤︎」と書かれた消しゴムを茶化さないし、馬鹿にもしない。他の誰かに話もしない。
加えて、消しゴムに書かれた文字を見てしまった井田も、戸惑いはするも青木の気持ちを否定したりはしない。「お前の気持ちは、なかったことにしなくていいんじゃないのか」という台詞が、本当にかっこいい。
その上、クラスメイトの男子に告白されたというのを、誰かに話したり笑ったりもしない。
女子からの告白を、馬鹿にしてネタにする男子だって多いのに。

消しゴムを冷やかさない青木も、告白を(勘違いであることは置いておいて)真剣に受け止める井田も、そしてその後の話を読んだ人にはわかると思うが橋下さんもあっくんも、とても優しくて軟らかい。

そこにある恋を、誰も否定しない。

これは漫画だから現実じゃない。でもこのお話が、少女漫画誌に載っていて、他の恋愛ものと一緒に並んでいて、多くの人に読まれている。そう思うと勝手に、救われたような気持ちになる。

突然話が変わるようだけれど、私は高1から高2にかけて、同性の先輩に恋をしていた。

自分はレズビアンではない。男の子と付き合っていたこともある。じゃあ、バイセクシュアルなのかと聞かれると、それも自分ではまだわからない。その人だから好きになった、好きになった人の性別がたまたま私と一緒だっただけ、という感じ。

何もかもわからなかった。自分のことが恋愛対象ではない相手を想うのは、何が正解だかわからない。好きな相手を聞かれても答えられない。人に相談するのも難しい。本人の口から出る好みは、自分と何一つ合致しない。雑誌に載っているモテるメイクや服は全て男性に向けてか友人に向けてのもの。恋の歌も恋の話も、共感する程に疎外感を感じる。疎外感を感じれば罪悪感も感じる。だって、誰も悪くないから。

仕方ないと思っているし、それが当たり前だと思う。物や仕組みの多くが、人の利き手は右手だという事を想定して作られているのと同じ事。
珍しい、はそれを認識するまで「見えない」存在だから。
でも、わかっていても寂しいものは寂しい。

だから
今、このお話が、この2人の恋が、「恋愛」として少女漫画誌で同列に扱われているんだということ。それをジャニーズという、大手事務所の男性アイドルが演じるということ。

漫画を読んでからドラマを見た。丁寧に作られた漫画は、丁寧にドラマにされていた。きっとたくさんの人が関わっているだろうに、そこに雑な感じが少しもなかった。

つまり。関わった、そしてそれを受け取った多くの人に、この2人の恋が恋として「見えている」ということ。

それがものすごく自分にとって、上手く言葉にはできないけど、嬉しいことだった。

多分私は、自分で思っていたよりずっと寂しかったんだと思う。
保健の先生がLGBTについて授業をした時、「左利きの人と同じくらいの割合で世界には存在するから、"君たちもそういう人に今後出会うかもしれない"」と、悪気なくそして当然に"そういう人"はここには居ないと言外に示された時も、私が男の人と結婚して子供を産むと思って疑わない親戚に「あなたが子供を産んだらこれをあげようね」と赤ちゃん用の着物を見せられた時も、バラエティで男性同士の距離の近さや発言を「妖しい」やら「ソッチ」やらの言葉で茶化しているのを見た時も。
多分ずっとずっとずっと、辛かった。

私のことは、私みたいな人のことは、誰にも見えてないんだな。そう思うたび悲しかった。
仕方ないとも思っていたから、悲しさを少しずつ1人で消化するしかなくて。

でも…見えてる人がいるんだ。

多くの人にとってこの恋は、身近にはありえないファンタジーかもしれない。でも大体の少女漫画がそうだろうと、私は思う。
あるかもしれないけど、多分自分の身には起こらない。壁ドンも、腕枕も、カーテンに隠れてのキスも全てファンタジー。でも、あり得ないとも言い切れない。
少女漫画がそういうものだとして、「あるかもしれない」の一つになりつつあることが嬉しかった。

だって、こういう作品があるなら、これから先の時代を生きる若者達は、自分の中に生まれた気持ちをあり得ないで打ち消さずに済むのかもしれない。心無い否定の言葉を打ち消していけるのかもしれない。
好きでもいいんだ、と思える人が増えたなら、それはなんて幸せなことだろう。

こういう経験は実は二度目で、CHICOwithHoneyWorksさんが「醜い生き物」という曲をリリースした時が、一度目。女の子同士の恋愛を描くようなMVで、それまで「センパイ」や「今好きになる」に自分を重ね、でもどこか重ねきれずに寂しかった私は動画を見て泣いた。

それが、この作品が存在することによる救い。

4、私の話と、彼らがくれた救い

先述の私の恋について、もう少し話したい。

当時、どうしようもなく好きだった。でも伝える気は無かった。望みなんて全く無いと思っていたし、先輩と後輩として築いた今の関係が壊れるのが怖かった。

秋頃に、先輩には彼氏が出来たと聞かされて、私は頭から水を浴びたような気持ちになった。
わかっていたはずなのに、そうか、やっぱり隣に居られるのは男の人なんだと、そう思い知らされた。

思い上がっていたのだと、言われた気がした。
やっぱりいけなかったんだと、そう思ってしまった。

だから私は一切の気持ちを封印した。先輩に対しての憧れ、興味、慕情。後輩が先輩に対して抱く「普通の感情」だと思うこと以外の全てを封じ込めた。
気がついた時には、私は空っぽになっていた。元々自分がどう先輩に接していたのかも分からなくなってしまった。

分からなくなっている間に、私は一年の無理が祟って倒れた。
倒れている間に、コロナが流行りだした。

学校は休みになって、引退大会は中止になった
学校が再開して数日後に開いた会をもって、先輩たちは引退した。

分からなくなった「元々の距離感」はそのまま思い出せず、よそよそしい距離のまま先輩を送り出した。

私の気持ちは、箱にしまって封じ込めて、そのまま鍵を失くしてしまったような。そこにあることがわかっていても、どうしようもない代物になってしまった。
抜け殻のようになったまま、毎日を過ごすうちに、先輩は卒業していった。

そのまま無かったことにし続けて、自分の気持ちが風化するのを待つのだと、もう忘れるしかないのだと、そう思っていた。青臭い、子供のバカみたいな妄執として片付けられる日を待つしかないのだと。


だけど

この作品を読んだ時、ああ、それでもあれは自分にとってちゃんと恋だったんだと。やっと、認めることが出来た気がした。

彼らがあまりにも自分の気持ちにまっすぐで、一生懸命だから。それがあまりにも可愛いから。愛おしいから。
そう思えるなら、私は私の過去も、一生懸命恋をしていた事実として愛していいんじゃないかな、認めていいんじゃないかなって。

認めたからって、あの人に告白できるわけでもないし、あの人と付き合えるわけでもないし、私とあの人の関係は何にも変わらないけど。

それでも。あの人の背中を追いかけていた時間やあの人に焦がれていた時間を、「馬鹿だったと恥じて忘れるべき黒歴史」や「若気の至り」とか、「いつかの笑い話」にしなくていいんだな。「恋」だと思って大事に抱きしめていてもいいんだなって思えた。

そのことを、全ての人が認めてくれるかはわからない。そうあるべきだとも思ってない。
あの作品の彼らのように、自分の気持ちに素直になって誰かに打ち明けたり、思いを告げられたからといって、上手くいくとは限らない。リスクも孕むし、拒絶される可能性もある。

それでも、それでも私は、私だけは。この恋を否定しなくていいんだと思えた。かき消さなくていいんだと思えた。
私にとっての素敵な思い出、私にとって忘れられない人、私にとってかけがえのない恋。

だって、あんなに人を好きになったことなんてなかった。あんなに誰かに興味を持ったことはなかった。あんなに誰かに憧れて努力したこともなかった。あんなに誰かのそばにいたいと思ったことはなかった。自分のコンプレックスを溶かすような言葉をくれたのも、初めてだった。
声を聞くだけで、心の温度が上がること。
触れられた手を洗うとき、勿体なく思うこと。
流れ星や虹を見たとき、見ているかなと思うこと。
全部あの人が教えてくれた。

たまたま女の人だった。
勇気が出なくて、伝えられなかった。
だけど、一生懸命、精一杯、全身全霊好きだった。

せめて私くらいはそう思っていいよね。私の気持ちは「無かったことにしなくてもいい」よね。

そう思わせてくれた。


多分、なんだってそうなんだと思う。
たまたまアイドルでも、たまたま二次元でも、たまたま音楽でも、なんだって。自分にとって本気なこと、真剣なこと、真面目なこと、人生を変えてくれた何か。
好きなもの、夢、目標。進みたい学部、大切な思い出、大好きな食べ物…

それらが、他人にとってはそれほど価値があるように見えなかった。または、他人からは批判される対象だった…という事は生きていると度々ある。「なんでそれなの?」と笑う人は沢山いる。
私は18年しか生きてないけれど、今までだって散々そう言われてきた。自分の行動のせいで迷惑をかけるわけでもない相手に。でも、そういうことがあった時、


私にとって大事だから。
好きだから。かけがえない物だから。


そう言い切って愛する勇気を、優しさを、まっすぐな彼らがくれた。

自分にとって大切な物は、他人からどう見えようと蔑ろにしちゃいけない。無かったことにもしなくていい。


井田くんと青木くんの今後に、何があるのかはわからない。
変わりゆく彼らの距離を、冷やかす人も、馬鹿にする人も、否定する人も世界にはいると思う。
もし彼らが想い合い、ずっと一緒にいたいと思ったら、きっと沢山のことを乗り越えないといけないんだと思う。
彼らの家族や友人が、みんな受け入れて祝福してくれるとは限らない。日本の今の法律じゃ、彼らは愛し合っていても結婚できない。
それでも彼らにとってお互いが、迷うことなく大事でかけがえのない物であるなら、それだけは誰にも奪えない「幸せ」って言えるんだろうな。

他人に否定されても、奪われない「幸せ」
否定されないなら何よりいいけど、それが叶わないなら、その「幸せ」だけは自分で蔑ろにしちゃいけない。

私もそんな「幸せ」を一つ一つ大切にしながら、自分の気持ちにまっすぐ素直に生きていきたいなと思った。

優しさと強さを教えてくれてありがとう。
「消えた初恋」漫画とドラマの両作品、そして、愛おしい彼ら全員に明るい未来がありますように。

追記

とうとう原作漫画を全巻買ってしまいました。紹介したいシーン、救われたシーンはここで触れたよりもたくさんたくさんあるのですが、ネタバレになってしまうので紹介は控えます。改めて、優しくて素敵な漫画に出逢えて幸せです。彼らが受験勉強を頑張る姿に力をもらいながら、私も頑張ります。