台上前転8段

シャインマスカットが好きなおたく

スノラボ感想と私の話

2020年、1月22日のデビュー日。
私は「コココガチャ」の岩本さんに一目惚れをした。
その数日後にファンクラブに入った。
3月の横浜アリーナのコンサートが当たって、そして中止になった。

それから3年弱。

2022年12月2日に、SnowManのコンサートに初めて行った。初めて、ライブをしているSnowManを生で見た。
そして、コロナが蔓延してから、初めて声を出せたライブになった。


この日受け取った幸せや、この日思い出したことを、ちゃんと覚えておきたい。そして、この日決意したことから逃げたくない。だから、ここに書き残しておきます。

 


 SnowManが教えてくれた夜明けについて

所謂遠征をしてコンサートに行くのはコロナ前にも後にもこれが初めてだった。(SnowManがくれた「初」です!)あれがいるんだ、これを買わなきゃ、これを手配しなきゃ。バイトに授業に資格の勉強にと忙しい中で準備を進めるのはすごく大変だったけど、その全てが好きな人に会いに行くためなんだって思ったら全部楽しかった。そしてこの楽しさは当たり前じゃないことを思い出して、きたる日まで毎日を噛み締めるようにしていました。


当日はトラブルもなく愛野に着いて、お茶をしてから会場に向かいました。動かない動く歩道をえっほえっほと登った先にあるエコパアリーナの周りには沢山のファンがいて、芝生のあたりで待ちながら、あぁ現場だなぁ、ここにいる人たちはみんなSnowManが好きなんだなぁと思ったらすごくほくほくした気持ちになったのを覚えています。

開場、発券を経て着席。
この辺りでやっと、コンサートに来たんだって実感しました。それまではずっと、万が一に備えて覚悟をしていたから。これはもう、コロナ禍になってから逃れられない習慣になってしまったように思う。期待して準備して、それがあっけなく中止になる。そんなことがあまりにも多いばかりに、前もって心に逃げ道を作るようになった自分のことは、悲しいけど責められない。
でも、この日は幸せなことに中止にも延期にもならなかった。そのことを、席についてやっとじわじわと実感していきました。あ、私、見られるんだ。ライブをするSnowManを。
うわ、と思ったら途端に落ち着かなくなって、ペンライトの灯りをつけてみては気持ちが浮き足だった。うそ、私ライブ会場にいる、ほんとに見られるんだ。なんて。
浮かれる気持ちを落ち着かせるように荷物の整理をして、それでも時間がたくさん余ったから、そのあとは座ってゆっくりしていました。会場は、虹色に輝く照明がすごく綺麗で、写真が撮れたら良いのになぁ、ってちょっと思った。
(ちなみに、開場すぐはトイレが貸切状態でした。みなさん、狙い目ですよ!笑)

それから、左腕につけた腕時計をちら、と確認しては深呼吸を繰り返すような時間を経て、その瞬間を迎えました。

客入れの音量が上がり、照明が落ちて、歓声がワッと上がる。

この時、「あ、声、出していいんだ」って、まるで封印を解かれたみたいな気持ちになった。あ、うわ、こえ、だせる。わたし今、キャーって言っていいんだ……って。

画面上にメンバーが紹介されるたびに少しだけ躊躇いをはらんだ歓声が上がって、その度に懐かしくて不思議で嬉しくて、ペンライトを振りながら声を上げるのがとてもとても楽しかった。

そして正面に9人が出てきて、それぞれが画面に大写しになって、すごく大きな歓声が上がった。

肉眼で見えるその距離に、あまりにも美しいひとたちがいる。眩しいくらいの照明に、画面越しに好きだなって泣いた紅白の時の衣装。そして、彼らに向けられるたくさんのペンライトと歓声。

大好きな人たちが、大好きな衣装を纏ってそこにいる。

その瞬間、わたし、涙が止まらなくなってしまって。
ペンライトぶんぶん振りながら、うちわ握りしめながら、ああ、ほんとに、ここまで戻ったんだ。戻れたんだ、ここまで。戻ってきたんだ、そうだ、そうだったずっと、わたしはこの空間が大好きで、この時間が大好きだったんだ、って。
沢山研究して、丁寧にしたメイクもきっとぐちゃぐちゃ。でもそんなことどうでもよくなるくらいあの瞬間とてもとても満ち足りてて、幸せだった。

夜が明けていくんだ、って思った。
そう言葉にするのが、あの時のわたしの感情には一番相応しいと思う。


2020年春。SnowManを好きになってすぐの春は、例えるなら真っ暗闇だった。伸ばした指の先すら見えないくらいの暗闇。
あるはずだった行事、行くはずだったイベント、受けるはずだった授業、立つはずだった舞台、通いたかった大学……カレンダーが真っ白になって、すぐ先の未来まで考えられなくなった。
そしてその闇は少しずつその色を薄くはしたけれど、まるで足元に縋り付くように、今に至るまで何度も私の邪魔をした。
「あったはず」の何かを、何度も失いました。
そしてもう一生戻ってこない。空白ばかりの高校生活はやり直せない。それはこれからも変わらない。


だけど。
ふざけんなって泣いたあの日々、一つ一つがきっと今に繋がっているんだ。あの日々の我慢が、理不尽だって腹を立てても投げ出さなかった、やけを起こさなかったあの時間が今を作ってるんだ。そう、思えた。

自分よりも辛い我慢を強いられている人がいるとわかっていても、友達とカラオケにも外食にも行けない日々に何度も悪態をついた。こんなはずじゃなかった、人生で一番頑張って入った高校で出会った仲間と、もっとやりたいことがあった。そうやって何度も泣いて、泣き疲れて全部諦めた。最初から無かったと思った方が楽だから、そう思うようになった。
いつか元の日々が戻ってくるから今は我慢しよう、なんて信じられなくって、前なんて向かないほうが楽なんじゃないかと俯く日々の中で、テレビや動画で姿を見せてくれるアイドルだけが希望だった。希望を捨てないでいる理由になったと言ったほうが正しい。自分よりも早く前を向いた人たちの背中に何度も救われた。両手からこぼれ落ちた「当たり前」が戻ってくる未来を信じて、やけを起こさずにいられる理由だった。それすら信じられない日もあったけど、暗闇の中で唯一の光として私のそばで輝き続けてくれた。


そんな日々に意味があったんだって、この日この瞬間にやっと思えました。きっと意味はある、きっと未来はあるって言い聞かせてたあの日々に、本当に意味はあったんだって初めて思えました。

真っ暗闇の中で唯一輝いていた人たちが、「ほらね」って夜明けを教えてくれたような気持ちでした。


全てが元通りになるにはもっともっと時間がかかると思う。けれど少しずつ夜が明け始めているんだってそう思えた。思わせてくれた。


夜明けの光に似た彼らはとてもとても眩しくて、この光の余韻だけで私いつまでも生きていけるよって心の底から思った。


並んだ9人は、私の知る世界の中でいちばん眩しく輝いていました。

 

コンサートについて


細かいレポについては大体誰かが書いているので私の方では書きません。
あと、情けないことに記憶がかなり飛んでいて、詳しく覚えてはいないのです……映像として目に焼き付いたものが順番ごちゃごちゃになってメモリに記憶されてる感じで、曲目などに紐づけて紹介できないのでそれらは割愛して、印象に残っていることだけ書きます。

まず深澤さん、とっても色の白い美人だった!画面越しに見る姿だと、ノンストップの深澤さんが一番近いかもしれない。すごく儚げな美人さんで、客席に向かってふわ、と笑いかけたり、MCでボケるラウに「そういうのは俺がやるから!」と言う姿に本当に優しい人なんだなって思いました。

次に目黒くん。客席に満遍なくファンサするのがすごく印象的だった!いっぱいいる犬とかをわしゃわしゃわしゃわしゃってするみたいなファンサ!ヨシヨシヨシヨシヨシって感じで、見える限りありとあらゆるところに手を振ってました。すっごく元気で、すごく楽しそうだった。

阿部さんは、生で見るとより爽やかだった。清潔感のあるイケメンって感じで、これで頭いいんだからめっちゃくちゃ恐ろしいなって思いました。隙あらばファンサしてたのも印象的だったな。

佐久間くんは、これが噂の他担狩り……と言うのを間近に浴びてしまって瀕死になりました。Tic-tac-toeの佐久間くんがめちゃくちゃ近くだったのだけど、もう、ほんとに「狩り」だった。殺す気で来てる。落とす、とかそんな甘いもんじゃない。あの眼光の鋭さ、あれは「狩り」でした。

渡辺さんは、もうめっちゃくちゃかっこよかった。私常々渡辺さんに職場の先輩になって欲しいって言ってるんですけど、生で見ても同じことを思いました。かっこいい大人だ……って。あと「静岡の人に聞きたいんだけど、麩菓子って有名?」って聞く、その言い方にあまりにも品があって、それがなんだかめちゃくちゃ好きでした。

舘様はスーパーだてタイムの会場を支配する舘様が印象的だったな。あと例のハレンチ衣装、舘様は背中が三角形にぱっくり割れて綺麗に縦に凹みのあるお背中が見えていて「せ、背中ー!」となりました。一挙一動がとても上品だったなぁ。

康二くんは、画面の中とは1番ギャップがあったかもしれない!まずらものすごくスタイルが良かった。頭がキュッて小さくて(特に後ろから見た時!掴めそうなくらい小さい)ミッドナイトトレンディのスーツ衣装がよく似合う、切長で涼しげな目をしたイケメンでした。なんていうのかな、康二くんっていつも割と騒がしくて暖かい印象があると思うんだけど、生で見るとすごく涼しげな印象でした。でも一度口を開くと可愛い。

ラウールさんは……まず、画面越しにあんなに見ていたはずなのに脚が長かった。脚なが!?!?って改めてびっくりした。ガラライキュ号が近くを通った時は、もう発光してた。つやー!ぴかー!って。美術館から逃げてきたって言われても頷くくらい綺麗だった。でも、ふにゃって笑うのがすごく可愛くて。あと、ラストの黒衣装があまりにも似合ってて、豪奢で美しかったです。はだけて黒タンクトップ姿になった時にまた違った色気を感じてクラクラしました。恐ろしい……

最後に岩本さん。ファンサをすごくする、と言うのは聞いていたけれど、こういうことか!と思った。ダンスや歌の合間にする、というよりは、ファンサービスまでがパフォーマンスという印象。客席に視線を投げる姿がすごくショーっぽかった。あと、私はラストのお衣装が忘れられません。前もって見聞きしてはいたけど、生で見た衝撃はえげつなかったです。生身の人間が着ていい服なんだ!?着て、成り立つんだ!?と思いました。舞台とはまた違った岩本さんが見られてすごく好きだった!

 

岩本さんのおかげ、で変わったこと


あの日の私は「岩本さんのおかげ」でできていたと心の底から言えます。

まずは、コンサート当日、私の全身に現れた「岩本さんのおかげ」について。

着ていく服には、ジャケットとワイドパンツのセットアップを選んだ。
これは、岩本さんに出会う前の私なら絶対に選ばなかった服です。

私は、身長が150cmしかありません。いいじゃん、と言われることもあるし、そう思う人の気持ちもわかるけれど、私にとってはとにかくコンプレックスだった。私はずっと、若草物語のジョーみたいに、自分のことを「息子」と言ってもおかしくならないような、背が高くて手足の長いかっこいい女の子になりたかったのに、そうなれなかったから。

中学生になって、こっそり試着したメンズの服は、肩も丈も合わなくて不恰好で、自分に"かっこいい"は似合わないんだと思い知った。憧れがあったからこそ傷ついて、「もう二度と着ない」と思ってそのままずっと避けていました。

同時期に容姿のことで揶揄われて、すごく悩みました。
"かっこいい"が似合わないのに"かわいい"でもないんだ、私。"かっこいい"が目指せないならかわいくないといけないのに。だって、不恰好は嫌だ。容姿で人に舐められたくない。"かわいい"にならなきゃ。
そんな風に、美容やダイエットにのめり込んでいきました。どうにかして「大丈夫」になりたかった。

高校に上がってからも、容姿は気にしたし、写真に撮られるのが嫌いだった。自分を大事にしてくれる人に出会って少しずつ変わっていったけど、それでもずっと、自分の見え方を酷く気にした。


そんな私が、衝撃を受けたのがこの言葉。高2の夏に出会った岩本さんの言葉です。



 

私に常に付き纏っていた「大丈夫かな」という強迫観念が、しゅわ、と消えた瞬間でした。

上手に笑おうとしなくていいのかな……いいの?でも……写真に撮られるプロがそう言うなら、そうなのかも。

ある種の納得と、「好きな人の言うことだから信じてみたい」と言う意思が働いて、自分の見え方をあまり気にしないようにしてみよう、と意識するようになりました。


それからだんだんと、写真に撮られる時だけでなく、自分が人から見て「大丈夫か」ということを気にしなくなって。
気にしなくなった私は、写真の中でよく笑うようになって、可愛いかかっこいいかは置いておいて、楽しそうな写真が増えていきました。

「大丈夫」になるために学校にして行っていたメイクは、しなくていいと思う時にはしなくなり、したい時に、したいメイクをするようになりました。

タピオカを飲んでチョコレートを食べて筋トレする岩本さんを見て、甘いものが好きな自分のこと責めなくていいんだ、ご飯食べちゃったって泣かなくていいんだ、と少しずつ思えるようになって、変なダイエットをすることもなくなり、体の重さが気になるときは、極度の間食を控えて筋トレをするようになりました。

ああしなきゃ、こうしなきゃ、ああでなきゃ。雁字搦めになって、自分に対して色々なことを許せなくなっていた私をふわりと優しさで包み込むみたいに、岩本さんが許してくれたから。許していいんだよ、好きならそれでいいじゃん、って、言葉と生き様で教えてくれたから。私は、「大丈夫じゃないかもしれない」私を許せるようになって、大丈夫かどうかを気にしなくなっていったんです。


岩本さんに出会って一年半。高3の夏に、初めて髪をショートにしました。似合う自信があったわけじゃなかったけれど、意外にも、髪を切った自分はとても自分好みの容姿をしていて。
いいじゃんと言ってくれる人もいて、すごく嬉しかった。なにより、自分の内面と外面の齟齬を埋められた感覚が気持ちよかった。

その後出会った「消えた初恋」の「大事にしたいな、大事にしてくれる人を」という言葉も私のお守りになって、身に纏うもの、振る舞い、そういうものがどんどん、他人から見てどうかではなく、自分が好きかどうかを軸にした選択に変わっていきました。それに伴って、私を大事にしてくれる人の褒め言葉も、ちゃんと受け取れるようになりました。

 

当日着る服には、「岩本さんのおかげ」を詰め込みたくて、白いジャケットとワイドパンツのセットアップを選びました。これは、SnowManが好きだという共通項を理由に、現役の頃以上に仲良くなれた、高校の時の先輩と買い物に行った時に出会ったもの。高校の頃の私を最初から最後まで知っているその先輩にその日頂いた「岩本さんにいい影響を受けているあひるちゃんに、私もいい影響を受けて、手を伸ばせることが増えたよ」という言葉を、私は宝物のように思っています。そんな思い出も含めて、この服を着ていくのがぴったりだと思って選びました。
インナーと靴下は辛子色。
メイクにも、黄色を仕込んだ。パーソナルカラー的には黄色は似合わないらしいけど、それでも浮かないように組み合わせを考えて使いました。
そして髪の毛は、夏にした金髪に何を入れるか最後まで迷ったけど、岩本さんが前髪を赤く染めたのを見て赤に決めて、赤髪のショートカットにして行きました。

当日撮ってもらった写真の中の私は、我ながらその格好がよく似合っていて、それは、自分軸で考えた上で、治したいなと思った姿勢を治すためにストレッチして、筋トレをしたおかげでもあると思います。自分を軸にした自分磨きを出来るようになったから得られた成果。

自分が好きだと思う格好でいることを、自分に許せるようになった。まだまだ伸び代はあるけれど、それをより素敵に着たい自分のために、前向きに努力できるようになった。

それら全てが「岩本さんのおかげ」です。


全身には現れていないけど、あの日の私が抱えていた「岩本さんのおかげ」は他にもあって。

私がそこに行けたのは、真っ暗な日々の中で、私が生きるのを投げ出さなかったからという前提がある。それは、岩本さんをはじめSnowManがあの頃の私に希望を与えてくれていたおかげで、そんな中でも諦めないでアイドルで居続けてくれたおかげ。
そして、今年大学生になれていなければ、きっとコンサートには応募も出来なかった。受験生の間、SnowManにはどれだけ支えられたかわからない。それに、受験生の私を支えてくれた母も、SnowManに支えられていたのだから、感謝してもしきれない。
大学に入ってからは慣れないことばかりだったけれど、なんとか無事にフル単できた。これも岩本さんとSnowManが毎日貪欲に何かに挑む姿を見せてくれていたおかげ。


まだまだあるけれど、生活に溶け込んだ希望の光であり、追いかけたい背中である人のおかげで得られたものや、繋ぎ止められたものはあまりに多すぎて、もう数えきれない。

だから全部ひっくるめて、あの日の私は岩本さんのおかげで出来ていたと言えてしまうのです。


片思いをする覚悟について


うちわを作るかどうか、そしてなんて書くか、すごく悩んだ。岩本さんはとてもファンサをする、どこに居ても見えてしまうと思った方がいい……と言われると、視界に入った時にうちわを持っていた方がいいかなと思った。そんな動機で作ると決めたけれど、書くことは余計に決まらなかった。

〇〇して、と書くことも考えた。可愛いポーズして、笑って、撃って、ウインクして……etc
でも書けなかった。決められなかったし、して下さい!というお願いをする勇気がなかった。

じゃあどうしよう、と思った時に一番伝えたかったのが「あなたのことが好きな人がいます!」ってことと、「あなたのことを好きでいて幸せです!」ってことでした。

それを、全部書くことにしました。

だけど、それは全部自己満足でよかった。伝わってくれなくたって構わなくて、ただ胸を張れる姿で行ければ満足でした。


でも、結果として、岩本さんは私のうちわを見てくれた。と、思う。あ、って思う瞬間があった。あまりにも大事すぎて言葉にできないけど、そう思う瞬間があった。


告白してしまった、って後からじわりじわりと自覚して。今も、その瞬間の岩本さんの表情を思い出すたびに、顔に熱が集まる。どうしよう、私、言っちゃった。好きだって、言っちゃった。


遠ざかる岩本さんを見ながら、他のファンにファンサをする岩本さんを見ながら、うちわを思わず抱きしめながら、
これは、恋だな、って白旗をあげた。


私はこれまで少しずつ、自分の気持ちを誤魔化していたように思います。

所謂リアコ勢じゃないよ〜、付き合いたいとか思ってるタイプじゃない〜、一概にジャニオタって言ってもいっぱい種類がいて〜

ジャニーズには詳しくない友人に話をする時、自分の応援スタンスについてそういった説明をすることが少なくない。それは、所謂ジャニオタが他の界隈の方から恐れられていることが多いからでもあるし、実際、間違った説明というわけでもない。でも、「そういう感じじゃない」という言葉には、自分の気持ちを誤魔化している所があったことは否めない。まっすぐ可愛く好きなわけじゃないから、と自分の気持ちを卑下している節があった。

でも、私、岩本さんのこと好きだった。

恋と呼ぶには気持ち悪いと笑って誤魔化していた気持ちは紛れもなく恋だった。

軽々と上がる脚に見惚れて、ハットから覗く輪郭が好きで、ふわっと笑う顔が愛おしくて、踊りながら客席に視線を投げる姿に身の程知らずな寂しさを覚えた。

つまるところ私は臆病だった。
身の程知らずな嫉妬心が自分の中に存在すると知ってしまうことが怖かった。
いつか目の前で、本人の手によって引き裂かれる可能性を完全には否定できない虚像に夢中になることも、後戻り出来なさそうで怖かった。
「私なんか」が「あんな人」を好きでいいのかなって不安もあったし、こんな気持ちを、会ったことも話したこともない人間から向けられるのってどうなんだろう、というためらいもあった。


でも、眩い光を前にして、そんな気持ちをウジウジ抱えている場合ではなくなってしまった。

あ、私、この人が好きなんだ。その感情を向ける先が精巧に作られた虚像なのかもしれなくても、そんなことは関係なくて、今私の目に映るこの人が好きなんだ。

それが、紛れもない事実としてそこにあった。そして、それを認めたいと思った。ちゃんと大事にしたいと思った。

私なんかに、好かれているの、いやだったらどうしよう。ってそんな情けない不安を抱えていたことを謝りたくなるほど優しい顔をしてくれた、そのことの方を信じたくなったから。

信じる、と言うと語弊がある。「"自分が見ているその人"の言葉や行動を、疑ったり、ワンクッション置いたりせずに、真っ直ぐ受け止める」という感じ。

好きでいていいんだって思わせてくれた、その瞬間見たものの方を信じることにしよう。本気で好きなわけないし、向こうはお仕事だしって予防線を引いておいた方がきっと楽だろうけど、紛れもない本心を書いたうちわに向けてくれた視線を信じて、まっすぐ「好き」を抱えて飛び込もう。危ういけど。怖いけど。
だって私あの優しい顔を、その顔を向けてくれたことを、ちゃんと大切にしたい。こうなるかもしれないじゃんわかんないじゃんって私が勝手に考えた来てほしくない未来よりも、臆病な予防線よりも、自分の目で見た、アイドルとして向けてくれた顔を信じたい。重んじたい。

信じた先でいつか勝手に失恋する覚悟まで決めた。その上で好きだと思うことにした。


そうなれば、私が自分に求めるハードルは今までよりも高くなって。
胸を張ってファンをしていたい、の時よりもはるかに高くて厳しいハードルを前にして、おわ〜引き返したいと思ったりもしているけれど、とりあえずは頑張ってみよう、頑張りたいな、と思っています。
誰かに勝ちたいとかそういう気持ちは決してなく、ただ、胸を張ってあなたが好きですって思っていたい。胸を張るために、私が自分で設定したハードルを超えたい。
そしてもっと自分のことを好きになって、好きな人に誇れる私でまた目に焼き付けにいきたい。

今度、はもっと遠いんだろうなって、決して広くはないエコパアリーナを見渡して思ったけど。少し寂しくなったけど。それでも、次が例え数年先になってもいいから頑張ろうって思いました。

この3年間で、岩本さんのおかげ、で頑張れたことや変われたことがたくさんあって、コンサートに向けて頑張ったこともたくさんあって、12月2日は一つの集大成のような気持ちでいたけれど、ゴールが新しいスタートになりました。

深呼吸して、また頑張ります。


まとめ


以上が私のスノラボ関連のお話になります。
こう書いてみると、SnowManを好きになってから、かなり自分は変わったなぁと思います。良い方にというか、とても気楽な方に変わったなと。

そして今回のコンサートは、私にとってちょっとしたターニングポイントになったのかなと思っています。

好きになってから一年くらいの間は、私が岩本さんに向ける感情はかなり恋に近いものでした。でもそこから段々と、恋というよりは惚れていると言った方が近いような気持ちへと変わっていって、好きになった頃の体温が上がるようなときめきよりも憧れの気持ちの方が上回っていました。でも、夏の映画と舞台、そしてコンサートを経て、今は、もう一度恋をしてるみたいな気持ちになっています。憧れの人に、追いつきたくて仕方がなくて、走らずにはいられないみたいな気持ち。届かないってわかってて、でも追いかけるのが楽しくて、甘くて苦しくて幸せ。追いかけているから強くなれて、好きだから甘えられる日々にすごく幸せを感じています。言葉にするのが難しい!この辺はもう少し、また別の機会に言葉にしたいなって思っています。

行けないのが当たり前だったコンサートに、行けてしまったからには今後、私は自分の欲深さに溺れたり、そんな自分が嫌になったりすることもきっとあるんだろうな、と思います。その都度、この日受け取った幸せがいかに大きかったかを、自分には思い出してもらいたいな。これを書いたことには、そんな願いも込めました。

さて、年末です。すごく嬉しいことに、年の瀬まで私の好きな人たちはテレビに出ていてくれるそうで。今年も好きだったなぁ、って思いながら年を越せるのがすごく幸せです。来年もそんな年末になるといいな。

それでは、ここまで長々とお付き合いいただきありがとうございました。
寒さが厳しい季節となりましたが、お身体ご自愛ください。良いお年を。